性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

あまちゃん論 現代のファンタジー、童話として読んでいく。

既に述べましたとおり、序盤の4月~5月の間私はそれ程熱心なあまちゃんフリークではありませんでした。忠兵衛さんが実は生きていたの巻のあたりではあまりの不条理に正直ストーリーを追うのを投げてます。実の娘が実の父親の生死を確認しないで死んだままにしておくなんてあり得ない(ブルーレイで再度何度も見直していると、夏ばっぱ宮本信子)が春子(キョンキョン)が「父さんが死んだことも知らなかつた」と愚痴るシーンで「あ?」とだけ呆れたように答えてそのまま無視するシーンがあり、ああちゃんと伏線としては貼ってあったなあとは理解出来る構造になってます。同時にその演技力や質の高い演出に驚く。そして、大吉と阿部ちゃんの態度も、春子が怒って北三陸を出て行かないようにわざわざ忠兵衛の話題には触れないようにしている仕草も)。

 

忠兵衛こと蟹江敬三はドラマが始まる番宣の段階で元気に喋ってるシーン出まくりだったので、ああ生きてるよねこの人ってのは視聴側にはむしろ織り込み済みの内容だったのですが、それにしても妙な話で。この手の怪しげな設定、無理な展開はあまちゃんというドラマではその後もずっと続くのでいわば慣れっこになってしまいましたけどね。そういうもんだ、と。

 

そうです。この物語は不条理なんです。私は実はそこに大変な魅力を感じた。

 

かなり無茶苦茶な話なのですが、それでいて本題、本質のようなものはこちらに届いているんですね。アキが頑張る姿も美しい。なんといっても能年さんの可愛らしさが素晴らしい。オープニングから続く音楽の楽しさ、わびしさ、とても心地よい。そして小ネタの連続に挟まれる本題のストーリーをすすめるセリフの精度の高さ。まさにピンポイントで足元にパスが出てくるよう。あとはストーリーを読むというゴールに蹴り込むだけ。楽だったんですね。

 

それでいて、ずっと引きずっていた感覚がある。この話、なんか変という感覚。面白おかしく展開される物語の中で、キャラクター達が時折伝えてくれるメインストーリーの流れそれだけじゃ無いんじゃない?という疑問。

その後、ツイッターなどを通して、膨大に張り巡らされた伏線や裏ネタ、システムの数々にこの物語の大変な奥深さを知るようになります。ちょっとただ事じゃ無い。これは別の見方が必要だ。いや、物語の伏線や、ストーリーの隠された意図を見つけ出す。その方が絶対面白い!

私はそれ以来、結構「素直じゃない見方」であのドラマをずっと追いかけて行くことになります。まずは正体不明の主人公の解釈です。天野アキは私に全く近づいてきてくれません。魅力いっぱいの能年ちゃんの溌剌として姿をみて癒される以上の意味は無いのか。それが読み解けなければこの物語は結局、夏と春子の確執と和解の物語です。そんなはずは無い。それだけのはずは無い。この子はいったい何者か?

 

きっかけは、水口の登場でした。松田龍兵の演じるこの男は極めて不気味でした。後に出演者の勉さん役、塩見三省氏が語っておられるのですが、彼はやはり極めて異質な、不穏なものを漂わせていたとの事です。何とも場違いな人物。

その水口がアキに言います。「君には無限の可能性があるんじゃないか」と、甘言を弄します。後になってわかることですが、彼は東京の芸能事務所ハートフルに所属するスカウトマンでした。北三陸で話題になっているアキユイの二人に目をつけた彼らが密かにユイをスカウトにやってきていたのです。アキはついでに、という扱いで。

その時のアキのセリフが素晴らしい。

「なんだこいつ。わけわかんねえ」

私はあまちゃんというドラマは一種のファンタジーではないかという解釈を採っています。それを決定づけるセリフがこれでした。水口は一種の悪魔です。東京という魔界からやって来た、人さらい、夢さらい人です。この姿は最後まで変わらなかったと思います。アキに思い入れをもって誠実に接するようになってからも本質的には彼は悪魔だったと。後の芸能プロ、業界人の描かれ方にも見えますが、クドカンは彼らを決して良い人たちとは捉えていません。狐狸魍魎の類として見せています。

その、若い女の子にとってはとても魅力的に聞こえるセリフ「無限の可能性」をアキは一蹴します。可能性は無限であっても、可能であることは限られている。こんな当たり前の事を私たちはつい見逃して宝くじを追いかける。それで潤うのは宝くじ屋だけなのに。アキはその誘惑を、悪意を一言で否定してみせます。彼女の本質を見抜く力、賢さの現れでした。私はここで悟ります。ああ、この子は普通じゃ無い。一種の超人だ。何だろう?

 

彼女は北三陸の海に、夏に突き落とされて覚醒したように描かれていました。今、ブルーレイを見直すと「アキはそれまでの弱い自分を海の底に置いてきた。生まれ変わった」とナレーションされています。この指摘は恐らく極めて重要だった。

しかし、私は最初のきっかけにおいてそうは受け取らなかった。「アキは、北三陸の精霊と合体した」と受け取りました。彼女は人であって人で無くなったのだと。

私は彼女を北三陸の妖怪、座敷わらしとして見るようになります。そして以後、この視点で物語を追いかけるようになっていきます。するととてもスッキリと物語が消化できてくるようになったのです。

 

このドラマは民話、童話である。ファンタジーである。