性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

日記的な何か (仮) HDDレコーダー時代のテレビとの付き合い方

能年さんが出た番組は自動的に撮りだめしてくれるように録画レコーダーに登録してたんですが、他にももクロちゃんやサッカーや競馬も入れてたらあっという間に記録容量がパンパンに。特にサッカーが余分だった。

あろうことか、能年さんの出演した映画が消えてしまっている悲劇!能年さんが取ったと言うドラマアワードのニュースもいつの間にか消えており…… あれ、能年さんの新CMも一緒に入ってたんだけどね。

実に悲しい思いをしている次第。

朝の連ドラは、現代放送されてるごちそうさんちゅらさんちりとてちん、全て録画してる状態。これ、最低画質で大量に取り込み、そののち適当なBRに焼き込みって方法考えてます。いまはまだSRって録画レベルですが、これだと勿体無いね。もう少し画質落しとかないと今回のような悲劇が続く。

 

そして思いました。テレビドラマは最早消費財であると。以前はリアルタイムの時間、それを共有することで時代が共有されていたと思うのですが、現代、ドラマはこの手の装置に録画して後で飛ばし見するのが当たり前の事になってきたのでは。

 

視聴率というものさしにはますます意味がなくなってきていると思うのです。

 

私はドラマってそんなに熱心に見てなかった人なんですがね。放送される全ドラマを一旦録画して、早送りで見倒すみたいなこと、やってみようかとか考えてたりします。そんな人多いんじゃない?

 

追記 このエントリーの後、こちらをお読みいただいた方にたいへん重要なご指摘をいただきまして。ソニーがベータビデオの録画機を発売したとき、アメリカで訴訟を起こされているというんですね。つまりテレビの録画は泥棒だ、というような理屈です。これに対して、ビデオというのは番組をリアルタイムで見れなかった人たちの為に存在するという理屈なんですね。あくまで時間をコントロールする為のものである。録画された映像は見終わった後消される事が前提なのだそうで。

 

私たちは、文明の最先端において、もしかしたら既にタイムトラベルを始めてるのかな、とか思ってしまってます。ビデオ出現以前の歴史と、今の歴史は違うんです。

現代の歴史は限りなくリアルへと到達しようとしています。もう少し詳しく書くと、ミームって考え方があるんですけどね。文明というものが一つの遺伝子のようなものである、と。集団の共通意識はモノや文化の形で継承されていく。これを一種有機的な生物の遺伝子に批准してみる。これも、遺伝だと。

 

人類はまず、紐を発明した。これは多くのものを結びつける事に成功した。

石くれは、木の棒と結び付けられ、強力な武器となった。蔓はあざなわれ木を引き締めて弓となった。石器時代が始まった。人類は言葉を整備していった。叫び声には意味が付加された。言葉は色々な形で残されるようになり、やがていつの頃からか人々は文字を伝達ツールとして使い始めた(本来、文字は言霊を封じる記号だったと思います)。文字の発明は、情報を未来へ残す事となった。ここで初めて、人類は過去を伝えるようになる。

文明は文字による情報の伝達、継承により飛躍的に発展し始めたと考えてます。

そう捉えたとき、私たちはラジオ、写真の登場以前、視覚、聴覚的には完全に過去から未来への一方方向だった(これを補完していたのが歌と演劇、祭事)。

だがラジオと写真の登場はこれが継承されていく遺伝要素として加わった。

時代は今、テレビの隆盛を経て記録レコーダーの時代へと。私たちは個人レベルで歴史を所有するようになった。それが複雑に検討される時が来た。

これはもしかしたら、紐の発明、文字の発明にも匹敵する歴史的ターニングポイントなのかもな、と思うのです。私たちは歴史を手に入れた。

 

文中突然出てきたタイムトラベルって何のこっちゃ?と訝しがられる方へ。

ミームって考え方を実体化してみれば。人間個人個人の命とか質量って無意味ではないでしょうか?有史以来、実は私たちは自分たちの文化文明の継続にこそ。つまりミームの連続性にこそ意味を見出していないでしょうか。そこでは記憶、記録、歴史こそが至高の概念では無かったでしょうか?

個人の記憶は、全体としての記録と不可分です。ミーム意伝子)と、ジーン(遺伝子)の継承は不可分なんですね、本来。

では、物質としての肉体は時間旅行は不可能であるとして。ミームとして記録を遡ること、未来を見ることは可能ではないでしょうか?

 

では、物質としての肉体は時間旅行は不可能であるとして。ミームとして記録を遡ること、未来を見ることは可能ではないでしょうか?

私たちは、タイムトラベルを始めているんですよ、きっと。まだまだ不完全だけど。

 

宗教の本なんか、というか自己啓発本なんかで連呼される言葉で、「大切なのは今!今こここそが生きている証!」とかいうのがあるんですけど。

間違いです。

 

今という時間こそが無い。限りない未来と、変えられる過去があるだけなのだ。

じゃあ、今という時間とはどこにあるのか?

それが「ドラマ」=おとぎ話じゃないか。

 

私たちは有り得ない、今という時間をドラマの中に探している

私たちは今、それを個人個人が記録する……そんな時代に生きている。