性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

あまちゃん論 小泉今日子

あまちゃんというドラマを見ていて、皆さんはある種の不吉さ、不安な印象を受けられませんでしたか?ちょっとあまちゃんにハマッてたりして、ネットでその手の記事を読み漁ったりした方ならご存知かと思うのですが、 宮本信子さんのナレーションが神の視点、守護霊的な視点から語られている事から、いずれ夏ばっぱは死ぬというのは既定路線のようになっていたところがある。これはいずれ来る震災が大前提にある物語である事と相まって、あの世界を通じてずっとついてまわっていたと感じます。とても楽しい毎日の放送と、ずっとつきまとう不吉な影。これがあの物語のテーマとして同時に有り続けた。

 

この物語は1984年、北鉄開通式から始まります。物語がすべて終わった今、これはとても重要な意味を持っていた。あの物語はもともと、止まった時間の物語だった事がわかるからです。夏は北三陸から外に出たことが無い人です。彼女はいわば、永遠の閉じた時間に生きている人だった。楽園の住民なのですね。そして夏と断絶した春子は東京という異界で自分の時間を紡ぐ。あの、「時間の止まった岩手の楽園」から希望をつなぐ東京への道となった北鉄に乗って一人の不良少女が逃亡する。物語はその後、24年後の2008年へと一気に飛びます。歳月を重ねてすっかりくたびれた主婦となった春子が、ふてくされて北三陸へ戻ってくる所から始まる。若き日に憎みに憎んだ故郷はくたびれた姿を見せている。希望であったはずの東京は、故郷の岩手からエネルギーを奪い去っていったのみだった。春子から青春と夢を吸い取り、家庭というものを築きながらそこでも挫折した(美しいエンディングによって忘れらているかと思いますが、彼女は結婚にも子育てにも失敗しています)。

 

そもそも天野アキという視点を失ったあまちゃんというドラマは、楽しげな音楽劇に隠れて、実はひどく暗いストーリーです。それは春子の恨みと復讐の物語となるからです。80年代で止まってしまった過去の物語となります。春子の東京生活については、明らかにファンタジーとして描かれる荒唐無稽な影武者ストーリーを除くと何も語られていません。じゃあ、春子とは何者か?時間が止まった人です。「失敗する、挫折するとは時間が止まるという事ではないのか?」あえて楽園にとどまる夏との対比で春子はそんな言葉を投げかけてくる。

 

公式に発表されたエピソードとして小泉今日子さんのキャスティングはあまちゃんという物語において一番最初だったそうです。彼女が天野春子という人物に収まるところから物語は命を得たとも言えるかもしれない。この人が最初に衣装合わせをして、「これスケバンじゃん」と漏らしたという春子のドラマ開始当時の衣装は、春子そのものであり、キョンキョンそのものに見えました。

かつてのスーパーアイドルだったこの人は、ちょっとくたびれた地方都市としては典型かもしれない神奈川県厚木市の実は元ヤンだった人で、ともすれば春子そのものともいえる人物でした。彼女は家族との絆を大切にする人で今も親兄弟の方と親密につながっている様子ですが、劇中の春子は厳しすぎるといっていい母に反発して地元を離れた一人っ子でした。

 

あまちゃんは、主人公の天野アキが海女になるお話でした。そしてすぐにそのお話は完結しました。あの物語はその後も何度かの事実上の最終回を迎えるのですが、簡潔に言えば4月いっぱいで終わっていたと思うのです。今、ブルーレイで見直すストーリーでその後に続く海女とはアイドル(サービス業)としての存在、影武者の存在(阿部ちゃん)、理解はしても納得しないアキが自力でウニを取って周囲から最大限の祝福を受ける構図、こういったものは全てあそこで描き切られています。

 

では、だれの物語がその後続いたのか?物語が終わった今、多くの人たちも感じておられると思います。あれは春子の物語です。小泉今日子の物語でした(そして同時に有村佳純の物語)。その根本になっているのは何か?止まった時計を動かすことだったでしょうか?私にはそうは思えなかった。彼女が、くたびれて北三陸へ帰り望んだのは母夏による謝罪でした。娘のアキを差し向けてまで行ったのは過去の時間の訂正、太巻、鈴鹿からの謝罪でした(なんだか土下座寸劇半沢直樹とダブりますが)。アキの活躍と夏、忠兵衛の娘への愛情、鈴鹿ひろみの寛大な描かれ方により見落としそうになるのですが、春子が画策したのは、とても後ろ向きな復讐でした。

 

私は物語視聴当初、今は春子の物語。しかし東京、アイドル編となるに従い天野アキの物語へと変わっていくものと思っていました。そこでアキの成長が描かれるのかな、とも思っていました。違いました。物語自体は結局最後まで春子の物語だったという結論です。ある意味、時計は止まったままだった。2011年のあの日が、止まった時計を無理やり動かすその時まで

 

キョンキョンの演じたのは怨霊だったのではないか?若春子とは彼女の妄念そのものに見えるのです。「表面的には」とても楽しいクドカン脚本と、これも「表面的には」とてもコミカルで素敵なコメディエンヌを演じてくれる小泉今日子によって、とても喉越しよく私たちは飲み下すことが出来たのですが。

彼女と対をなす存在の大吉の杉本哲太尾美としのりと同世代の病理、中年のクライシスを描いているのもあまちゃんというドラマの特徴だったのかな、と今は振り返ります。