あまちゃん論 当初のスタンス
NHK連続テレビ小説 第88作目 平成25年度前期 あまちゃん についての私論
今でこそ私自身も世紀の傑作、テン年代の方向性を決定づける嚆矢となったとすら考えている「あまちゃん」ですが、私はこのドラマ最初良くわからなかったんですよ。
番組開始時のストーリーは、天野アキが海女になる話。そしてそれは4月中には事実上達成されます。小ネタはふんだんに繰り出してくれるドラマですだから画面を見ててもそれなりにハハハと笑える作りにはなってます。しかし、結局何が言いたいの?何がやりたいの? これがさっぱりわからない。
だから私はこのドラマを、多くは初期の段階で見なくなりましたという人の気持ちも良くわかるのですね。関西地方では特に評価が辛辣だったというのも結構同調できます。大阪圏の笑いじゃ無いですしね、クドカン脚本。番組開始当初はツイッターもそれほど利用している人でも無かった。SNSとつながらないとこのドラマの魅力は明らかに半減します。いろんな情報やドラマの見方を閲覧出来る仕組みが何よりも大事になる。
これはこの後ドラマを見続けていて痛感しました。ネットとの連動、視聴者の感想が深いレベルで、違う視点でどんどん広がっていく共有性。それを支えるためにこそ進行されているタイムラインとしての物語(この物語は常に2008年6月30日からの時間経過を示して進み、時に天野アキの母春子の時間として1984年7月1日を振り返りながら物語のクライマックスには2011年3月11日の東北震災を目指している事を暗示しています)がある。実際の事件や風俗を元にこれほどまでに効果的にドラマに使われるとは。
今となってはこれは革命的な出来事だったと気づかされるのです。
初期の頃のツイッターでの書き込み 作品視聴への迷いが見えますねえ。
つぃっ太@sangatukitijitu 5月13日
クドカン脚本って、ストーリの流れを追いかけてる限りは面白いんだけど、キャラクターは全く書き込まれてないのが特徴の気がしますね。場面転換的な、一種アニメーション的な魅力があるんだけど、キャラは書割に近い。実は魅力が無い。能年ちゃんが魅力的なキャラには見えないですね。 #あまちゃん
(貼り付け機能に検索がなければ事実上使い道が無いと思うがどうよ?)