性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

日記的な何か (仮) 安堂ロイドについて

結局、ほとんど見てるんですけどね、これ。言われているほどには悪くないと思うんですけどね、ドラマとしては。

視聴率ってのがやたらと気にされてるんですけど、気にするほどのものでは無いですよ、これ。まるで意味が無い気がします。

ググったらこんなん出てきました。

リーガル・ハイ、安堂ロイド、ドクターX、今期ドラマの視聴率は?

クロコーチ低すぎだろ?ゴーリキさんのせいなのかね。

 

ようつべで伊集院光が語ってるの採取。


伊集院光 キムタクのドラマ『安堂ロイド』の感想を語る。 - YouTube

視聴率lはキムタク柴咲で決まってるとかなんとかかんとか。

 


伊集院光 深夜の馬鹿力 ドラマ『安堂ロイド』、キムタクと柴咲コウは偉い! - YouTub

 

安堂ロイドというストーリーも、最近流行りのドラマだよなあというのがあり。なんというかゲーム的というんでしょうか。うまい言葉が見つからないのですが。番組を見てネタ探し、意味探し、展開予想を楽しむ種類のストーリー構成で。

そしてこのストーリーって実は何の意味も裏設定も無いと思います。最終話はなんということのないオチをつけて普通に終わるのでしょう。あえていうならそれがこのドラマのオチ。視聴者にネタだけ提供して終わる。

そういうの、わかった上でちょっと考察していきたいとは考えてます。

 

2013/12/8 追記

うん。面白いかも、このドラマ。わざと無茶苦茶なんだね。

 

 

 

 

 

 

日記的な何か (仮) 魔法少女 まどかマギカ 現代に蘇る宗教画 劇場版 魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語 観てきました。

映画、魔法少女まどかマギカ、叛逆の物語を映画館で見てきました。私はいわゆる映画が趣味という人ではないので、お金を出して映画館に映画を見に行くというのはかなり特殊な事でして。この物語にはちょっと特別思い入れがありましてですね。

 

宇多丸さんのシネマんディアスでも取り上げられておりました。映画鑑賞後に早速確認しております。

 


宇多丸が映画『劇場版 魔法少女まどかマギカ 新編 叛逆の物語』を語る - YouTube

「成長という檻」への言及はちょっと深刻です。

 

 

ヲタキングとかいうのも今は昔になった初老、岡田斗司夫も語ってますけどね。

この男のチラと紹介した萌え分類ってのがちょっとツボでした。まどマギとは直接関係ねえけど、この考察部分は重要かなあと。それと上級編とか名乗ってる「その1」はかなり重要かな。くそ、悔しい。ほむらの扱い自体はだいぶ俺とは違うけど。「単純に悪=闇」じゃねえよ、彼女は。


岡田斗司夫 魔法少女まどかマギカを語る 初級編 - YouTube

「あの絵はジャマです」とか言ってますけど、確かにあのキャラクターたちの絵は女の子の落書きにしか見えません。しかし。叛逆の物語を見終わった今。私にはあの絵しかあり得なかったとすら思えます。

 


岡田斗司夫 魔法少女まどかマギカを語る 中級編 - YouTube

萌え作品4分類は必聴に値すると思います。このコラム紹介が素晴らしくてコイツのようつべ全部貼り付けたようなもんです。

 


岡田斗司夫 劇場版「魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」を語る 上級編その1 - YouTube


岡田斗司夫 劇場版「魔法少女まどかマギカ[新編]叛逆の物語」を語る 上級編そ ...

 

二人共キリスト教で解釈するがあれは仏教説話です。それも日本の鎌倉仏教です。誠に日本的宗教画なんです。それも見事な。(法華経提婆達多品という経典があります。まどマギを語るのに必読だと思いますよ( ´∀`))

 

この、叛逆の物語と、前作、始まりの物語、永遠の物語を合わせた三部作。

映像、音楽、最早芸術です。宗教画として完璧です。ストーリーと合わせて、マジで美術館で公開し続ける価値があると信じてます。

 

さて、このストーリーには続編は有り得るか?

キュウべぇが逆襲しますね。必見かなと、期待しております。暗い期待……

 

2013/11/29 追記

法華経という経典は日本ではバイブルと呼ばれるに相応しい経典の王と呼ばれる物語絵巻です。では、まどかマギカとは?まさに法華経だと言って差し支えないと思いますよ。

 

ひとつ考えてみてください。鹿目まどかは最終的に魔法少女になる事を決断するのですが、あの決断はそもそもおかしいんです。

彼女には本来、魔法少女になる理由も根拠も無いんですよ。なのに、なぜかまどかはそれが当たり前のように魔法少女となる。

全ての魔法少女を魔女にさせない、という異様な請願によって。

 

そして思い出して欲しい。暁美ほむらは当然のように時間を繰り返すのですが、そもそも彼女が魔法少女になる決断は鹿目まどかを救いたい、という請願でした。

あれ?どういうこと?鹿目まどかが魔法少女として滅せなかったら、ほむらの魔法少女変化はなかった。ならば、まどかの請願とは合わない。

そして、キュウべぇ暁美ほむらの請願を成就してないのです!重大な契約違反です。つまり契約未成立なんですよ。本来、暁美ほむらは魔法少女になれないんです。

なれないはずなのに、なっている。

 

あのドラマに登場した魔法少女たちは、サンプルになるのはあと三人ですが、明らかに利他的な要求によって魔法少女になっているのが伺えます。

巴マミは交通事故にあった家族の生存を望んだことが伺えます。

美樹さやかは友達の男の子の腕が治ること。

佐倉杏子は父の願いを叶えるため。

ようするに、彼女たちは多分、絶対利他的な願い事、それもかなり(キュウべぇにとっては造作もなく)些細な事で自らの命を事実上投げ出します。

そうでなければなれないのが魔法少女の契約条件じゃないか。

 

なのに、まどかとほむらの願いは途方も無さすぎるんです。

そしてそもそも、彼女たちの生み出す爆発的な絶望のエネルギーというものは、キュウべぇインキュベーターが存在しなければ宇宙を救うのに不可避なエネルギーとやらには変換されない様子です。

あの世界には侵略者に見えるキュウべぇすら、必要なんですね。結局。

全てのものに意味があり、それらは消えることもなく滅ぼすこともできない。

これこそが円環の理ではないか。つまり、

まどかとほむらは、最初から存在するんです。そして全ての魔法少女は彼女たちなんです。最終的には。

 

法華経ってこういうお話です。

 

続けますね♪

2013/12/1 追記

魔法少女まどかマギカ 永遠の物語 今更のちょいネタバレ解釈

永遠の物語、最後の最後に、砂漠を進むほむら、その前には巨大な魔獣の群れ、まどかの、「がんばって」の声を聞き微笑み、悪魔ほむらの翼を広げる姿が映し出されて「ひかりふる」が流れる真のエンディングになるんですが。

あの魔獣の群れ、キュウべぇですよ、多分。あいつらは宇宙の絶対悪とやらのツケをとらされたんでしょうね。ほむらは絶対に勝てない戦いにまどかと共に永遠に立ち向かうのでしょう。

 

2013/12/3 追記

ほむほむのマガマガ画像集

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ダークオーブ。ほむらが自らのソウルジェムを噛み砕き出現する「愛」の結晶。

 

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そのシーン。自殺とも取れるし、自らを破壊することで新たな創造が始まったとも。

 

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魔女ほむらにはホムリリーって名が付いてたそうな。初出はゲームに登場するそうで。

 

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ゲーム版までは知らない……。でも、魔女化はしてるらしい。既に。

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原作となるテレビシリーズ&映画二部作での最大の敵、ワルプルギスの夜。一時はこれがほむらじゃないのか?と噂されてたという。なるほどな、とも思う解釈。

これが、ダークオーブに似てないか?と言ってる人がいた。なるほどな、と思う。

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まあ、アニメーターさんのデザインが似通ってるだけとも言えるが(^_^;)

見えなくもないね、うん。

ワルプルギスの夜の夜の別名は「無力」。彼女は元は一人の魔法少女だったが、そこにたくさんの魔法少女の魂、即ち魔女が集い、これを舞台装置として巨大な禍に変じた姿だそうで、デザインイメージは舞台装置だと。あのボディの上で魔女たちが踊り狂う様が劇中でも描かれていた。

 

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ちなみに、ほむらはトカゲの王のイメージであることはずっと隠喩されていたようです。額縁の端っこに書かれてます。このストーリーって、前編にあたるまどかパートと、補完する形のほむらパートは最初から想定されてたんだろうなと。

 

因果として考えるとですね。まどかの究極の願いはほむら達魔法少女を全て絶望させないという願いから始まる。しかし、この願いはまどかがほむらの自己犠牲を理解しなければ発せられる事は無いんですね、もともと。

そして、ほむらはまどかが魔法少女に変化する事自体を阻止したい、というところが魔法少女化への出発点だったりします。

玉子が先か、鶏が先かってやつです。双矛盾してる。これ、時間軸的にどちらが先なの?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記的な何か (仮) 通貨は信仰であるという事

あまちゃん能年玲奈ももクロを柱に、ドラマや映画の事や女優さんの事とか、あるいはスポーツの事なんかちょっと触れるようなお気楽なエンターテインメント嗜好ブログを目指す当ブログですが。これだけはちょいと書き込もうかと。

 

お金というもの、お金にまつわる事。これは信仰であると。よく、宗教でお金儲けが絡むのは本物じゃないとか言いますが。全然間違いで。お金が絡むからこそ進行なんだろうと。つまり、大いなる信仰対象である貨幣や金融の流通という、通貨概念を伴ってこそ信心というものは実体化するんだと考えるにいたりまして。

 

私たちは、お金を持っているとこれを無条件に価値のあるものとして認識し、紙面の単位通りの基準の契約が誰とでも取り交わせると信じています。

実はこれ、かなり変なんです。モノの価値を貨幣で測る明確な基準なんて無いのですよね。そして、現実にはモノの価値を創造するために、あえてブランド化、グレード化などという余計な過程を必要とする。

 

階級、カースト制なんていって、人々は作られた階級システムに支配されているという論調がありますが。カースト制を支持するのはほかならぬその構成員たちなわけです。貨幣経済を支えるのは、けっきょくこのカーストを認めた人たちによる。

 

資本家と労働者は一世のものであり、しかもその立場は流動的。固定はされていないんです。下克上する。両者は立場上の概念に過ぎない。そういう実存は無い。

 

資本の理論の元、資本家たるクニの威信をかけて、お札というものはデザインされます。あれはまさにクニの顔というべきものなんでしょうね。まさに、信仰対象だと思う。国家とは即ち資本家なのである、という厳然たる事実。

 

で、能年さんなんですけどね。私、この人は100年後、お札の顔になってる人なんだって思ったんですよ。彼女は、そういう人です。私、その線で彼女語ってます。

100年後、能年玲奈はお札の顔として崇拝対象として私たちの子供たちの手の中にある

 

 

 

 

日記的な何か (仮) HDDレコーダー時代のテレビとの付き合い方

能年さんが出た番組は自動的に撮りだめしてくれるように録画レコーダーに登録してたんですが、他にももクロちゃんやサッカーや競馬も入れてたらあっという間に記録容量がパンパンに。特にサッカーが余分だった。

あろうことか、能年さんの出演した映画が消えてしまっている悲劇!能年さんが取ったと言うドラマアワードのニュースもいつの間にか消えており…… あれ、能年さんの新CMも一緒に入ってたんだけどね。

実に悲しい思いをしている次第。

朝の連ドラは、現代放送されてるごちそうさんちゅらさんちりとてちん、全て録画してる状態。これ、最低画質で大量に取り込み、そののち適当なBRに焼き込みって方法考えてます。いまはまだSRって録画レベルですが、これだと勿体無いね。もう少し画質落しとかないと今回のような悲劇が続く。

 

そして思いました。テレビドラマは最早消費財であると。以前はリアルタイムの時間、それを共有することで時代が共有されていたと思うのですが、現代、ドラマはこの手の装置に録画して後で飛ばし見するのが当たり前の事になってきたのでは。

 

視聴率というものさしにはますます意味がなくなってきていると思うのです。

 

私はドラマってそんなに熱心に見てなかった人なんですがね。放送される全ドラマを一旦録画して、早送りで見倒すみたいなこと、やってみようかとか考えてたりします。そんな人多いんじゃない?

 

追記 このエントリーの後、こちらをお読みいただいた方にたいへん重要なご指摘をいただきまして。ソニーがベータビデオの録画機を発売したとき、アメリカで訴訟を起こされているというんですね。つまりテレビの録画は泥棒だ、というような理屈です。これに対して、ビデオというのは番組をリアルタイムで見れなかった人たちの為に存在するという理屈なんですね。あくまで時間をコントロールする為のものである。録画された映像は見終わった後消される事が前提なのだそうで。

 

私たちは、文明の最先端において、もしかしたら既にタイムトラベルを始めてるのかな、とか思ってしまってます。ビデオ出現以前の歴史と、今の歴史は違うんです。

現代の歴史は限りなくリアルへと到達しようとしています。もう少し詳しく書くと、ミームって考え方があるんですけどね。文明というものが一つの遺伝子のようなものである、と。集団の共通意識はモノや文化の形で継承されていく。これを一種有機的な生物の遺伝子に批准してみる。これも、遺伝だと。

 

人類はまず、紐を発明した。これは多くのものを結びつける事に成功した。

石くれは、木の棒と結び付けられ、強力な武器となった。蔓はあざなわれ木を引き締めて弓となった。石器時代が始まった。人類は言葉を整備していった。叫び声には意味が付加された。言葉は色々な形で残されるようになり、やがていつの頃からか人々は文字を伝達ツールとして使い始めた(本来、文字は言霊を封じる記号だったと思います)。文字の発明は、情報を未来へ残す事となった。ここで初めて、人類は過去を伝えるようになる。

文明は文字による情報の伝達、継承により飛躍的に発展し始めたと考えてます。

そう捉えたとき、私たちはラジオ、写真の登場以前、視覚、聴覚的には完全に過去から未来への一方方向だった(これを補完していたのが歌と演劇、祭事)。

だがラジオと写真の登場はこれが継承されていく遺伝要素として加わった。

時代は今、テレビの隆盛を経て記録レコーダーの時代へと。私たちは個人レベルで歴史を所有するようになった。それが複雑に検討される時が来た。

これはもしかしたら、紐の発明、文字の発明にも匹敵する歴史的ターニングポイントなのかもな、と思うのです。私たちは歴史を手に入れた。

 

文中突然出てきたタイムトラベルって何のこっちゃ?と訝しがられる方へ。

ミームって考え方を実体化してみれば。人間個人個人の命とか質量って無意味ではないでしょうか?有史以来、実は私たちは自分たちの文化文明の継続にこそ。つまりミームの連続性にこそ意味を見出していないでしょうか。そこでは記憶、記録、歴史こそが至高の概念では無かったでしょうか?

個人の記憶は、全体としての記録と不可分です。ミーム意伝子)と、ジーン(遺伝子)の継承は不可分なんですね、本来。

では、物質としての肉体は時間旅行は不可能であるとして。ミームとして記録を遡ること、未来を見ることは可能ではないでしょうか?

 

では、物質としての肉体は時間旅行は不可能であるとして。ミームとして記録を遡ること、未来を見ることは可能ではないでしょうか?

私たちは、タイムトラベルを始めているんですよ、きっと。まだまだ不完全だけど。

 

宗教の本なんか、というか自己啓発本なんかで連呼される言葉で、「大切なのは今!今こここそが生きている証!」とかいうのがあるんですけど。

間違いです。

 

今という時間こそが無い。限りない未来と、変えられる過去があるだけなのだ。

じゃあ、今という時間とはどこにあるのか?

それが「ドラマ」=おとぎ話じゃないか。

 

私たちは有り得ない、今という時間をドラマの中に探している

私たちは今、それを個人個人が記録する……そんな時代に生きている。

 

 

 

 

 

 

 

日記的な何か (仮) 平成26年度後期 朝の連続テレビ小説 マッサン について一番早い考察

NHK朝の連ドラ、マッサンとは?

サントリーの鳥居さんの話じゃなくて、ニッカウヰスキーの竹鶴さんご夫婦がモデルですって。ご婦人が英国スコットランドの人で、旦那を呼ぶときの呼びかけがマッサンだったのでこのタイトルになりましたとさ。舞台は大阪からイギリス、そして北海道へと続く大河ロマン! 以上、NHK公式発表を思いっきり端折ってダイジェスト。

 

日本一早い番組考察

このドラマが目指すのが、朝の連ドラの国際化という事はあるでしょうね。BS放送のグローバル化に伴い、世界各国で放送されるようになった朝ドラ。これをASADORAにしていきたいのでしょう。その流れの中で海外ロケ、海外のタレントを使うというコネクションも欲しい。今回はその端緒としたい。どうですか皆さん。

 

そしてストーリー的な考察。主人公不在を鮮明にしたストーリーではないでしょうか。外国人ヒロインと言いますが、これはまったく未知の領域。むしろ完全な異物としてドラマに拘ってくる。一種のモンスター。あまちゃんの天野アキもこの系統ではありましたが。今回は本格的に意思疎通が出来ない。日本語がリアルに通じない、が違和感ない設定である。言わばエイリアン竹鶴氏ははリブリーという事では?

主演が完全に、いわばハッキリと怪物、異物として描かれる朝ドラって、これが最初になるかなと思います。

 

日本一早い主演女優考察

日本語に堪能で芸能人の白人女性って実は凄く少ない。しゃべれるだけじゃ無くて面白おかしくないといけない。イラン難民のサヘルにイギリス人やらすのとか悪い冗談な訳です。色白でも無いしね。ハーフの人も募集対象なんて言ってますけど、これ、日本じゃベッキー一択じゃないか。もしくはトリンドル玲奈ダレノガレか。他は山本モナとか滝川クリステルとか、アナウンサーの人

英国人女優なんかが本当に応募してくるとして、その人は現代日本の現代芸能文化など知らないわけですから(まあエイリアンなんで、なんでもいいけどね)。

あるいは、超隠し球でエマ・シーン (11月24日修正 エマ・ワトソンです(^O^) エマ・シーンって誰やねんって考え直したら、ガンダムのキャラクターですね、これ。ガンダムにファックされてんですよねえ、私)でも内定してるんでしょうか?じゃあオーディションって茶番だなあと。まあ、そんなもんかもしれませんけど。

 

などなどと書いてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

日記的な何か (仮) 戦闘美少女……両性を行き来する者たち。止まった時間を生きる=ピーターパン

ファリックガールという言葉があります。

日本のドラマには戦う未成熟な美少女が沢山登場するのですが、それを研究するような人もいて。まあ剣というものはペニスの代替え品である。それの取り外しが出来る肉体を求めているような結論になるんですが。そういう存在をファリックガール(戦闘美少女)と呼んでいる。日本で公演されるミュージカル、ピーターパンは伝統的に女性が演じています。これがまさにファリックガールの典型と思えます。

 

女性化できる男性は、基本的に少年に限られる訳です。思春期の第二次性徴を迎えたか迎えないかの時代。現実問題としては、私たちが少年少女と呼べる唯一の時期はこの、13歳~15歳の、所謂中学生の時代に集中するのが真実ではないか。

 

このイメージは実は古来永遠といっていいくらい頻出する。金太郎という童話がありますが、私たちは多分、彼を山奥で赤い腹巻してクマと相撲とってた子供、としか知りません。実は彼は成長して坂田公時(さかたのきんとき)と呼ばれる武士で、美少年です。源頼光という英雄見出されて付き従って四天王の一人となり、酒呑童子という鬼を討ちます。少年の成長譚だった金太郎の物語は、しかしその成長譚と分離して山奥に住む永遠の怪力わらじの物語として今に伝わります。彼はネバーランドのピーターパンとなったのです。

 

金太郎がファリックガール?と驚かれるかもですが。両者は共に未成熟な怪物です。無限の可能性(重要ワード。あまちゃん世界で水口琢磨が使用)と言えます。現在公開中の、日本アニメ史に残る歴史的快作(風立ちぬではありません。ジブリ映画は千と千尋までで役目を終えたと考えています)、魔法少女まどかマギカ においても、テーマとなるのは少女と女の境目です。彼女たちは魔女になる事を拒否するのです!概念として少女は永遠の存在となります。

 

しかし。本来その時間は一瞬なんです。

 

私はツイッター上の自身のアイコンをのび太にしているくらいドラえもんが好きなんですが。彼も一つの特徴を持っています。そう、ネバーランドのピーターパンなんですよね。彼は小学生高学年です。メタモルフォーゼを始まる一瞬前の瞬間。

藤子F不二雄の天才は、彼に第二次性徴を与えなかった。そして明確な最終回を提示した上で、かつ、彼を嘘の世界へ留めました。私たちが知る彼らの物語の殆どはとじた時間軸の中での物語です。閉じているから、うそだから、彼は成長しないのです。

 

不二子がこの物語を世に出して、それを横目で見た某学歴エリートのある人気流行漫画家がこれをモチーフにしてストーリーを展開した事があります。非常に人気のある作品となりましたが、彼の意図は彼の思惑からは見事に失敗しました。

その漫画はとても優れた要素を持った漫画です。絵も素晴らしい。しかし、あれはドラえもんになり得なかったのです。

(もっともこの御仁は、その時期売れる漫画を研究していたんだそうですので。失敗なんてしてないんでしょ。)

 

その作品で成長したかにみえた主人公は、結局全てを失うのです。ルサンチマンをのみ残して。そして彼の成長を助けた筈の存在は結局この世界に残るというのです。

アイツは強くなったじゃ無いか?当たり前です。あれは時計が進んだんです。

彼にはドラえもんなんて必要なかったという結論なんです。ドラえもんになる訳が無い。アンチテーゼじゃなかったの?え?それでアンチテーゼのつもり?

じゃあ、描くなよ。(彼のストーリーは全てこんなのばかりですが。)

その作家は見余っていました。ドラえもんののび太は成長しないと得意げに主張したのです。私のキャラクターは成長すると豪語したのです。

彼が成長しないと罵倒した当のび太は彼の目の前にはすでにいません。なぜなら、のび太は彼とほぼ同い年です。あれは昭和40年初期の物語。とっくに終わってます。まさに彼の少年期と同時期に。

 

学歴エリートの作家氏は厳しい家庭に育ち、リアルタイムにはドラえもんを知らなかったそうです。いや、知っていても読ませてもらえなかったそうです。彼はいじましくも醜くも、自身の作った作品中に自分の分身を出現させ、最後彼のもとに彼の生み出したドラえもんモドキを送り届けます。

 

ああ、あんた、あんたがドラえもんと遊びたかったんだね。

 

前置きが長くなりました。あまちゃん能年玲奈の両方に共通するテーマです。

あの物語の時間は止まっています。

あの物語の主人公として選ばれた少女はファリックガールです。

そして、能年玲奈とは、永遠のファリックガールをあの世界を生きてくれたのだと思うのです。

 

ちょっと支離滅裂なテキストですいません(´・ω・`) バカがバカなりにやってます。

 

タイトル、【戦闘美少女  そして ガンダム、エヴァンゲリオン。】から改題しました。関係ねーやん、というエントリーですので(;_;) 

エヴァとガンダムのファリックガールについてはまた別に。

 

 

 

 

 

 

 

日記的な何か (仮) NHK朝の連続ドラマ まっさん て、何ソレ? (てか、 まっさん なの? マッサン なの?)

来年のNHK朝の連ドラ大阪場所が、鳥井さんご夫婦が酒作るのに大騒ぎさっていう話になりました。主人公のヒロインがが外国人だそうです。

 

私が夢見た、2014年中での早見あかりヒロイン抜擢は霧散したようです。

 

しかしこれ、よくよく考えたら主人公の演技ってまるで評価してないって事。

英語でしゃべるわけです。外国人の英語なんだからネイティブに近ければ近いほど、何言ってるかイントネーションとかわからない。つまり、うまいか下手かわからない。女の子は金髪碧眼の美少女で、演技は不問というね。

つまりこれは、NHKが初めて主人公不在という状況を意図的に作り出したのでは?

なんて、そんな新機軸なら見てみたいとも。

 

でもさ、早見あかりってハーフ疑惑あるくらい顔が濃いのよ。

今からでも遅くない。早見あかりでイギリス人ですって設定で主役抜擢に期待したいですね。この子、顔濃いじゃないですかあ!言葉が拙い方が朴訥じゃないですかあ!というね(震え声 面白そうじゃないですか?バリバリ日本人だけど顔が濃いから外国人役。テルマエ・ロマエみたいで。

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この子が早見あかりさん。Google検索ワード、堂々のトップが 「早見あかり ハーフ」

 

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最近、日テレの斉藤さんって番組で金髪姿を披露。

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番組内でのショット。真ん中 入間しおり こと 松岡美優。

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コレっすよ、コレ!金髪して碧いカラーコンタクトしたらベッキーよりイギリス人に見えますよ!

 

画面上、拙い英語で話す一般女性として演じ、内面の声としてナレーションで早見あかりのいつものしゃべり口調を披露。来日してからも大阪の人な訳で、彼女としては不慣れな関西弁なのですよ。

イイ!イイと思う!俺って天才じゃね?俺って天才じゃね?早見あかりイケルで!