性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

日記的な何か (仮) 通貨は信仰であるという事

あまちゃん能年玲奈ももクロを柱に、ドラマや映画の事や女優さんの事とか、あるいはスポーツの事なんかちょっと触れるようなお気楽なエンターテインメント嗜好ブログを目指す当ブログですが。これだけはちょいと書き込もうかと。

 

お金というもの、お金にまつわる事。これは信仰であると。よく、宗教でお金儲けが絡むのは本物じゃないとか言いますが。全然間違いで。お金が絡むからこそ進行なんだろうと。つまり、大いなる信仰対象である貨幣や金融の流通という、通貨概念を伴ってこそ信心というものは実体化するんだと考えるにいたりまして。

 

私たちは、お金を持っているとこれを無条件に価値のあるものとして認識し、紙面の単位通りの基準の契約が誰とでも取り交わせると信じています。

実はこれ、かなり変なんです。モノの価値を貨幣で測る明確な基準なんて無いのですよね。そして、現実にはモノの価値を創造するために、あえてブランド化、グレード化などという余計な過程を必要とする。

 

階級、カースト制なんていって、人々は作られた階級システムに支配されているという論調がありますが。カースト制を支持するのはほかならぬその構成員たちなわけです。貨幣経済を支えるのは、けっきょくこのカーストを認めた人たちによる。

 

資本家と労働者は一世のものであり、しかもその立場は流動的。固定はされていないんです。下克上する。両者は立場上の概念に過ぎない。そういう実存は無い。

 

資本の理論の元、資本家たるクニの威信をかけて、お札というものはデザインされます。あれはまさにクニの顔というべきものなんでしょうね。まさに、信仰対象だと思う。国家とは即ち資本家なのである、という厳然たる事実。

 

で、能年さんなんですけどね。私、この人は100年後、お札の顔になってる人なんだって思ったんですよ。彼女は、そういう人です。私、その線で彼女語ってます。

100年後、能年玲奈はお札の顔として崇拝対象として私たちの子供たちの手の中にある