性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

日記的な何か (仮) 能年玲奈 少年の心、少年の笑顔。

「でたらめな事を並べて、無理やり系統だててみせる。そしてそこに因果関係があるかのように熱っぽく語る。それは、さも最初からそうだったかのように聞こえてくる」

世の中の多くの言説は、実際は以上の行程を辛抱強く繰り返すことで形成される。

真実とは。多くの人にとって自分の知りたい事であり、もっと言うなら。自分がそうであって欲しいと考えている社会像にすぎないのではないか。驚くべきことにこれは、精緻に事実とのみ向き合っているはずの研究者、事業者にこそ顕著な傾向ではないか。

人は夢を見る。そして夢を追い求める過程で力を身につける。現実的な力を。現実を生きている彼ら。最も最先端に生きるはずの彼らは。夢を見て追いかけ続けている。最先端の研究とは、実はそんな夢想家たちの妄想の塊ではないのか?

夢想はオピニオンリーダー達の特権じゃないよね?みんな、夢は見てるんだよ。

出鱈目な言葉は、時に意味を持つ。人間は言葉を操って遊ぶ生き物です。以下の私の文章もそのひとつだと受け取り笑っていただけると幸いです。

そしてもう一つ重要なことですが、これは私の中での真実です。

以上、前口上。与太話を始めます。こういうの大好きな人なんで。今後もこの手のヤツちょくちょく書き込みします。

 

能年さんという人は何を考えているのかわからない人、というのは割と共通認識なんじゃないかと。彼女の事を知れば知るほど、実は彼女が何者なのかよくわからなくなっていくんですよ。昔の画像と全然違うとか、外見的な事。昔のブログはチャキチャキだったのに今は不思議ちゃんキャラじゃねえかと、何かネガティブにも語られるようなところがあるんですが、これは成長過程と捉えてしまえば差し障りは無いのでしょうけどね。それだけでは説明つかない何かもあるんです。

 

この人は今が、今のイメージこそが不在なんですよね。むしろ、今何を考え何を感じているのかが捉えられない。イメージも持てない。

昔の、表情の乏しかったころの画像のほうがむしろ掴みどころが多い。ああ、なんか内気なひとなのかな、大雑把な性格してそうだな、地声低いのね、とかね。彼女を伝えるカケラが落ちてるんですよ。

 

今、能年玲奈と言えば(というか今でこそなんでしょうけど)、能年玲奈は天野アキの事です。ライトなファンは彼女をただその通りに捉えていると。しかし、私なんかは彼女の事が好きすぎる訳で、そうすると彼女を追いかけ始めると益々この人が何を考えてるのかわからないんですよ。この人はいったいなん何だろう?と。

天野アキにも通じるテーマではあるんですけどね。正体不明。不思議ちゃんって言葉で、放送事故って言葉で片付けられるのが彼女なんですが、あの一瞬、間をおいての、「ハッ!」と答えてからの珍回答は最早定番なのですが。

でもこの人は時に極めて的確なことも話すのです。ラジオであまちゃんというドラマについて脚本家のクドカンと話したとき、その印象を聞かれ、「大人の皮をかぶった幼稚園児が遊んでる話」と答えてます。私はあのドラマをこれ以上的確に言い表した言葉を他に知りません。情報量が中森明夫の5万字分の容量です。あれはつまりそういう話でしたから。

あくまで現場で、彼女たちが演じた北三陸の舞台で展開されるストーリーは他に言い現しようが無いと。実に的確な表現。つまり、これはかなり論理的なのです。

女性的では無いんですよ。いつものように。そして、なんか答えるの遅い、と感じません?1テンポ、ひと呼吸間を空けて話すんです。

あの謎な受け答えなんですけど。あれ、あの独特の間をのぞいて答えてる内容を聞いてると、男性スポーツ選手の受け答えとかに似てませんか?素っ気なくて具体的で、けして早口にならずに喋りだした事からは話題が飛ばない。あの年頃のアイドルの子の話とか、結構喋りだした言葉と結語がバラバラになってる事あるんですけど、そういうのが無いんです。凄く語彙を絞ってる事も手伝って。

 

彼女はヒゲを好みます。ヒゲをしている男を好んでいるのではありません。ヒゲを好むことを盛んにアピールします。ヒゲの形状に興味を示します。髭面の男に興味は示していません。

まあ、そういうの可愛くね?くらいの事務所的戦略もあるんでしょうが。彼女はヒゲを大変特徴的な使い方をします。

ヒゲを自分に身につけて、こちらを見下すのです。

付け髭なんだから身につけてポーズなんて当たり前だろって?あの人女性ですよ?

 

彼女はカルピスウォーターのCMメイキングでのインタビューで、自身の初恋について語るシーンがあります。当ブログでも紹介しましたが、この時彼女は、

「一番最初に好きになったのは、幼稚園の時」

「おんなじ組みの」

ここで一拍間がある。

「おとこのこでした」

そりゃそうだよね、と笑って見てましたよ?もちろん。でも何度か見直してある事に気がつきました。男の子で当たり前じゃねえのか? ヒロシくんとか種市くんとか答えねえか?なんで一瞬間を置いた?

 

皆さんご存知の通り、役を離れた時にふと見せる、この人の表情はとても凛々しいのです。ゆっくりと周囲を見つめて考えながら時を過ごしている。この時の表情は、かなり固い。何か、能面を感じさせます。ポーカーフェイス。そのものズバリ、ポーカーなどの賭博で相手に自分の心を読まさないような顔。緊張感の高い顔。

周囲を受け入れる顔じゃないのです。これから動き出せるよう準備してる顔。

あんまり、こういう顔の女性タレントっていません。宝塚の男役です。

カメラが回っている事が明らかな時。つまりバラエティ番組などでの彼女の、満面の愛らしい表情とは実に対照的です。

 

疑念についていちいち検討する言葉を私は持たない。いきなり本論に入りましょう。

この人、脳が男なんじゃないの?

人間には男性には男性の脳、女性には女性の脳が備わっていることが近年わかってきています。しかし、稀にこれがアペコベになってしまう人がいるらしい。男の体に女の脳。女の体に男の脳。いわゆる、性同一性障害を引き起こす要素です。

 

じゃあ、この人は女性である自分の肉体に嫌悪し、男になりたがるはずだろ!馬鹿じゃねえの?というお答えもあるかと(まあ、真面目にここまで読んでいただいた方がいれば、ですが)。

 

この人は、男性の意識をもって自分の女性の肉体を美しいものとして受け入れたのではないか?自らの肉体を、理論的に好ましいものと、自身受け入れる選択をしたのではないか? 

 

「好きなものを好きだってちゃんと受け入れること」能年玲奈

(CUT No330 インタビュー、人間として一番大切な事は何かという質問に答えて) 

 

脳が男性だろうが、女性的なもの、女性の肉体に憧れる人も珍しいことは無い。

むしろ、至高の肉体を得たと感じるかもしれない。

その事実を受け入れるには大変な葛藤があったかとは思いますが……。

 

などと、私は彼女の摩訶不思議な頭の中の真実を夢想ているのです。という与太話。