性的対象 (東京事変のアルバム風に)

必要ヴォルティスロボこと、つぃっ太のツイッターでのつぶやきを更に突っ込んで整理、発表したい時に利用しようと思います。 https://twitter.com/sangatukitijitu 主に 能年玲奈の事 あまちゃん他ドラマの事 ももクロちゃんの事書いてます。 

日記的な何か (仮) 能年玲奈 極めて機能的、そして芸術。

以前、ツイッターでお話した方との会話で能年さんはまるで高性能なヨーロッパの車のようである、というようなお話になったことがあります。

 

彼女の本音の部分、本質的な部分って、テレビなどの画面上からはわからないんですよね。完全にその役になって演じてるので。正体不明。そこの部分を探ることは基本、芸能活動を行う彼女からは出来ない。

バラエティで見せる彼女の姿をもって、放送事故とか言ってるのが「定説」みたいになってますが、あれは普通の20歳くらいの女の子がテレビに写ったらああなるんじゃないの?という反応に過ぎないと思うんですよ。今の人達は、テレビに映るような人は皆リアクション芸みたいなのが返せて、面白おかしい芸能人を見せてくれて当たり前と思ってないか。逆にそれが素だとかすら勘違いしてないか

出川哲朗はタレントとしてああいう人なのであって、普段の彼がどうかは、本当はわからない訳です。もっとも。彼はああいう人であるとは思いますし、彼はその部分を切り売りしてるのを公言してる部分も多々あるので、あれが素である、となる訳で、順序は逆ですよ。能年さんはそんな手順は取っていないんですね。つまり、ある意味普通の女の子として画面に映ってるのは、当たり前すぎるほど当たり前なのです。

 

そしてそんな能年玲奈ですが、何かこの人の絵からは一種特異な機械音みたいなものが聞こえるんんですよ。そういう、素の部分ってのとは別のレベルで。彼女の本性ってのは、本当に隠されてる感じがする。本質が出てないと感じられる。ある種の受け取り手である私たちにとっての不協和音。何者か正体不明の不安感。それを、無理やり安心させるための、パブリックな意味での「不思議ちゃん分類」がある。

本当の彼女なんてのは、多分全く表に出てこないんだと思う。私は彼女は極めて男性的な人、いや、男性そのもののような思考パターンを持つ人なんじゃないか、なんて受け取ってますが。

 

そんな、一種まるでサイボーグのようなテレビに映る能年さんを例えて、私たちは会話でヨーロッパの高級外車のようだ、なんてやりとりをしました。

そうですね、だから私は彼女はポルシェなんだと思って見てるんです。極めて高度に練り上げられた、走るためのみに生まれてきた機械。しかし、徹底した機能美は時に芸術的にまで練り上げられた美しさを放つ、911カレラ

ポルシェの如く、徹底的にスパルタン、無骨で、ある意味素朴。そして同時に美しくエロティック。とても人工的、人造的であるのに、クラフトマンシップ溢れる、見てくれこれを!という、彼女を造った人たちの情念がヒシヒシと伝わってくる。一旦走り始めたらその姿とスピードは人を魅了せずにいられない。私たちは彼女そのものよりも、彼女の生み出す疾走するスピードに魅了されている

 

彼女に対して感じる私の魅力はそんな部分にもあるのです。なんといっても、役者能年玲奈が好きなんですよねえ。